内容へスキップ
top > 経営ペディア > 事業承継 > 「鍵はスマート農業」もりやま園株式会社 代表取締役 森山 聡彦氏(上)
経営のヒント

「鍵はスマート農業」
もりやま園株式会社 代表取締役 森山 聡彦氏(上)


  • 40-50代
  • 北海道・東北
  • 後継者
  • 新規ビジネス
  • DX

この記事は8分で読めます

日本一のりんご生産量を誇る青森県弘前市は、明治初期に日本で初めてリンゴ栽培を始めた「リンゴ栽培発祥の地」。その地で100年以上にわたり10ヘクタールもの広大な農地を家督相続で守ってきた農園を2015年に株式会社に切り替え、全国でも例を見ない全く新しい農業経営に転換したのがもりやま園株式会社代表取締役森山聡彦氏だ。

moriyamaen1_title.jpg

氏が掲げる企業理念は以下のとおり。

 

  • 1 農業を成長産業にする
  • 2 マイナスをプラスにする
  • 3 農業を知的産業にする

 

森山氏がこの理念を実現する道のりを順にみていこう。

もりやま園の歴史

もりやま園のある弘前市樹木地区は、病害管理や剪定技術等、りんご作りの基礎を築き、りんごの神様として祀られている外崎嘉七(とのさきかしち)が活躍した場所である。聡彦氏の父、森山佐五右衛門はその歴史的遺産を守ろうと運動したことで地元ではちょっとした有名人だ。

 

昭和40年代、弘前市は当地区を市街化区域にして住宅や商業施設を開発する都市計画を策定した。それに真っ向から反旗を翻したのが父だ。市や県に働きかけ、らちがあかないとみるとついには国に掛け合いに行った。その結果、もりやま園は都市計画の影響を逃れた。市街地のど真ん中に広大なりんご園が残されたのだ。

moriyama_a.jpg

代表の森山聡彦は森山家11代目の長男として生まれ、子どもの頃から畑が遊び場だった。両親の手伝いをしているうち、自分もりんご農園を継ぐものだと自然に思っていた。

 

しかし、両親と同じようにやりたいとは全く思わなかった。中学生の時には既に株式会社で大きくやっていこうと決めていた。そのきっかけは、クラスメイトの女の子がつぶやいた「農家ってかわいそう」という一言だった。

 

当時は80年代のバブル景気に沸いていた。一方農家は、度々起こる自然災害や気象変動に翻弄され、安い輸入農産物との価格競争にも負けて低収入で3K(汚い、きつい、危険)のイメージが世に広まっていた。自分がこのイメージをひっくり返してやりたいと思った。企業理念①に掲げる「農業を成長産業にする」と決めたのはこの時の原体験がもとになった。

 

大学では果樹を学ぶため、地元の国立大学、弘前大学農学生命農学科に進学した。

労働生産性向上への挑戦

森山氏は1998年に大学院を卒業後、一般企業に就職せず、そのまま家業に入った。父の下での仕事はひたすら農作業の毎日で面白くなかった。悪天候でない限り土日祝日もなく仕事。父は定休日という概念を持ち合わせていなかった。

 

実際、普通の農家の6倍もある10ヘクタールの面積を家族経営で回すには年中無休で働かなければならなかった。心の拠り所は大学時代からの趣味の自転車競技。朝夕トレーニングをし、年数回全国各地で開催されるレースで順位を競うことに没頭した。体力的に20代は伸び盛りだったが、30代はいくら練習してもなかなか壁を突破できず、35歳のシーズンで競技を引退しようと決めた。もうすぐ子どもが生まれるという時だった。

 

「いつまでも自転車ばかりやっていられない。そろそろリンゴ畑の改革に、自転車にかけてきたぐらいの熱量でどっぷりはまってみようと思ったんですよ」。

 

森山氏がまず手掛けたのは、父の頭の中にしかない「経営資産のデータ化」だった。

 

「どこにどれだけの面積の畑があって、どんな品種が何本植えられているのか?」を明確にすることだった。

 

畑作と違って、果樹は木の生育に何十年もかかる。ひとつの畑に何種類もの品種が混在していて、その1本1本の品種名を知っているのは園主しかいないのがこの業界では通例だ。まず、木に品種名を表示し、誰でもわかるようにした。さらに、畑名と配置記号も記載し、畑の中の場所を特定できるようにした。3年の試行錯誤の末、2008年2月、ついにデータベースが完成した。

品種名や畑名、配置記号などを記載し、木に貼った

森山氏提供)

データベースが完成し、満足気な森山氏

森山氏提供)

Adamの誕生

次に手掛けたのは、りんごの木1本1本に投じる「労力のデータ化」だった。

 

2008年当時はスマートフォンがまだ世になかった。PDAというWindowsCEで動く携帯端末にデータベースアプリをインストールして作業データを集めようとした。中古端末を5台買って農作業をする人に入力をお願いしたが、操作が複雑すぎて入力ミスにつながりきちんとデータが集まらなかった。

 

さらに各端末のSDカードに保存されたデータを毎日回収する作業が面倒すぎて続けるのは無理だと分かった。結局自分ひとり分の作業データしか集まらなかった。どうすれば、みんなの作業データが集められるのか考え続けて5年が過ぎた。

 

この間にスマートフォンが世に出回り、WEBアプリケーションが主流となってきて、スマートフォン上で動かせるデータベースソフトも発売された。早速購入し、自作でプロトタイプの作成にまでこぎつけた。

 

しかし、そのアプリはライセンスやサーバーなどランニングコストが高く、作業員全員で運用するには現実的でなかった。ランニングコストの低い専用のスマートフォンアプリが作りたいと思っていた時、商工会議所青年部のビジネスアイデアコンテストのチラシに目が留まり、エントリーして準グランプリを獲得した。

 

会社を設立した2015年、その補助金で地元のIT会社にプロトタイプを見せ、アプリ製作を依頼し、ICT技術「Adam(Apple Data Application Manager:アダム)」が完成した。2016年、通年で作業記録が集まり、ついにりんご作りの全作業工程の可視化に成功した。

 

各品種別にどの作業に何時間費やし、何トン収穫し、販売単価はいくらで、労働時間1時間当たりいくら稼いだのかが明らかになった。今まで誰も知りえなかった情報が目の前にあった。

 

「月面着陸に成功したような気分でした」。

 

しかしそのデータは、あまりにも厳しい現実を突きつけるものだった。

 

「ほとんどの品種で1時間当たりの労働生産性が1400円以下。りんご作りは法人ならやればやるほど赤字で、家族経営の無償の労働力の上、もしくは趣味として成り立っている生業であることがわかったのです」。

 

日本労働生産性本部の調査によれば、日本人の全産業の1時間当たりの労働生産性は約5000円、農業は全産業中最低の1400円程度だ。この値はAdamで集めたデータとほぼ同じだった。

moriyama1_d.png

図)産業別名目労働生産性(2021年/就業1時間当たり)

出典)日本労働生産性本部

「農業の労働生産性を少なくとも3倍以上にしなければ、この先人材獲得競争に敗れ、淘汰される運命にあります」。

利益を生まない労働を棄てる

こうした危機感から、森山氏は早速動いた。

Adamに改良を加えるべく、2019年、東京のIT会社と共同で、「Agrion(アグリオン)果樹」を開発、一般ユーザーにもサービス提供を開始したのだ。生産者が自らアプリ開発に乗り出し、クラウドサービスを提供した初の事例となった。企業理念③「農業を知的産業にする」を形にすることができた。

 

りんご栽培は労働集約的な仕事だ。特に「摘果(てきか)」と呼ばれる作業に年間の3割の時間を割いてきた。摘果とは、5月に花が結実した後から7月いっぱいかけて、幼果のうちに全体の9割の果実を摘み取る作業で、生育が遅れていたり、形がいびつであったりして、ものにならない果実を摘み取り、残された実に栄養を十分に与え、来年の花芽形成にも十分な栄養を分配するために行うものだ。

 

森山氏は摘果に割く労働時間を可視化しようと試みた。

 

そして誕生したのが「ツリータグ」。それをりんごの木にぶら下げた。作業はシンプルだ。スマホのアプリでタグに印刷されているQRコードを読み込み、作業内容を選択、開始ボタンを押す。作業が終わったら終了ボタンを押せば、作業別工数がビッグデータとしてクラウドに保存される仕組みだ。

moriyama1_e.jpg

森山氏がこのアプリを開発したのは、従来の農作業に多くの無駄が潜んでいるのではないかと考えたからだ。農作業を効率化し利益率を上げる。その為に作業の可視化が必要だったのだ。

 

作業は多岐にわたり、「摘果」のほか、枝を間引く「剪定(せんてい)」や、「収穫」、果実を選り分ける「選果」、それに「梱包・出荷」などがある。

 

あらゆる作業の工数をデータ化したら、驚くべきことが分かった。今まで当たり前と思ってやってきた75%もの労働時間が利益を生んでいないことがわかったのだ。

 

例えば、「着色管理」。日本独特の作業で、りんごの色を赤くするために一個一個実を回したり葉っぱを取ったりしてきた。しかし、これは味には関係ない。むしろ葉っぱを取り過ぎると味に影響が出てしまう。この作業に年間総作業量の30%も割いていた。

 

袋掛け」という作業も行っていた。綺麗なピンク色にするために実に袋をかけるのだ。

 

「他の仕事をやった方が儲かるのに、6月に袋掛けして、10月に外袋、中袋と2回に分けて剥いで地面に反射シートまで敷いて2倍の時間働いても価格は倍にすらならない。それじゃあ自分の時間の価値を下げることになるじゃないですか」。

 

これまでずっと何十年もやってきた伝統的な作業を止めるのに躊躇はなかった。

最終的に本当に必要な作業だけが残ったわけだ。これまで人間の「勘」に頼ってきた従来の農業に、ようやく近代的な工業の視点が入った瞬間だった。

6次産業化への取り組み

次に森山氏が考えたのは、「作業時間と収入金額の平準化」だ。りんご農家の収入は収穫期の秋に限られる。季節や天候に左右されず、通年で雇用し、通年で収入が得られるようにしなければならないと森山氏は考えていた。

 

そこで最初に着手したのが「干しりんご」だ。外観が悪いため安く手放していたりんごでも、輪切りにして乾燥機にかければ付加価値がついた商品になる。100万円台の設備投資で、通年供給できる商品が完成した。

 

「干しリンゴを発売したことで、りんごのない夏場にも初めて売上が立ちました」。

干しリンゴ「蜜入りこうとく」

この時既に森山氏は次の商品開発も着々と進めていた。


「鍵はスマート農業」もりやま園株式会社 代表取締役 森山 聡彦氏(下)に続く

NN_Picto_D_sympathy_rgb.svgお客さまの声をお聞かせください。

  •   

この記事は・・・